著者:駿附逑ケ | 1978年,東京生まれ。



[映画とドラマ]の記事一覧

2017年02月08日

ジブリ『耳をすませば』は「間」と「出会い」と「やりたいことの見つけ方」の教科書

■物語は「間」が命

 本当に何度観ても青くてニヤけてしまう。やな奴!やな奴!やな奴!笑 こんなピュアホワイト爽やかな恋愛を学生時代にした奴いないでしょ?笑 今はどうだか知らないけど、おれが中学の頃は付き合ってたのは1,2人だったよ。恋に恋して悶々としてるのがむしろ普通だったよ。

 でも理想の恋愛として完璧だよね。お互い高め合うという。月島雫、可愛すぎるわ。天沢聖司イケメンすぎるわ。宮崎駿は二人は結ばれないと言ってたけど、いや、雫は思い立ったら吉日だからイタリアに行くんだよ。高校の3年間はイタリア語の勉強をしてバイトしてお金貯めて、卒業したらイタリアに行く。おじいさんの話を聞いているから、おじいさんとルイーゼのようにはならないね。おれの中で。笑

 ともかく、荒削りの原石のままの二人の物語なのにアニメとしては美しく磨かれた二つとない裸石。磨くと却ってダメになる美しい世代を磨かれた技術で表現してみせた逆説!!近藤善文は永遠に不滅!!

「耳をすませば」は映画としても完璧だよね。ダメ出ししたいのは立花隆の父役くらいなもので、雫が聖司のヴァイオリンとおじいさん達の演奏に誘われて、だんだん声が出て行く演技は凄いし、ともかく「間」の取り方が完璧。

 たとえば、二段ベッドの上から、お姉ちゃんが「日曜に引っ越すよ」というシーンで、雫はお姉ちゃんに「進路っていつ決めたの?」と聞く。お姉ちゃんは「それを探すために大学に行っている」と答える。ふ〜んと、わかるようなわからないような雫と、お姉ちゃんの心理を、雫がベッドに寝たまま机の明かりを消そうと手を伸ばし、スイッチを探す手が右に左にさ迷って届かないという描写で表現してる。

 雫は結局、面倒臭そうに身体を起こして電気を消すが、雫も、お姉ちゃんも、進路に迷うけれど、いつかは自力で夢を見つけるということをこの描写は示唆してる。

 そのあいだ台詞も音楽もない。これが「間=台詞、状況、心理を納得する時間」になってる。

 同様の「間」は『耳をすませば』の中にはたくさんある。


・朝の雲海を見に行くまでの自転車二人乗り

・聖司のおじいさんに初小説を読んでもらった翌朝、目が覚めて窓を開けたら下に偶然聖司がいて、雫は部屋を飛び出す。玄関の傘立てを倒してしまい、ドアが音が鳴らないように足をひっかけてそっと閉める。

・お姉ちゃんが引っ越して広くなった部屋と雫の机の散らかりよう

・地球屋で、みんなとセッションした夜、聖司に送ってもらった時に、正面からライトが指して対向車を避ける

・雨上がりの屋上で、雲が流れ天使の梯子(薄明光線)が地上に下りている景色

・ノートと本をベンチに忘れたことに気づき、戻ると聖司がいるシーン



 間は沈黙とは限らない。音も間である。


・雫が夕子と駅前のコンビニで待ち合わせた時の電車の音

・聖司のおじいさんにふるまってもらった熱々のうどんを風に冷えた身体で鼻をすすりながら食べる

・聖司に送ってもらった時の夜空を飛ぶ飛行機の音

・猫男爵のバロンの輝く目に見とれていた夕時、光が消えて行くのと交代に聞こえた豆腐屋のラッパ

・朝の雲海で鳥の泣き声の中に遠くの幹線道路の交通がゴーっと唸りをあげている音


 沈黙、景色、環境音、光、、、こういうセリフのないシーンの中に「間=台詞、状況、心理を納得する時間」がある。そして臨場感、リアリティがある。ファンタジーだからこそ生活を描くっていうよりは、生活を描いているからファンタジーに説得力が出る。これは小説の手法と一緒。




■間がないとどうなるか

 言うまでもないけど、なぜ「間」が必要かといえば時間は流れるから。『耳をすませば』は夏から冬にかけての物語だったよね。
 
 もし間がない映画があったら、これは全くつまらないものになってしまう。「間=台詞、状況、心理を納得する時間」がないのならそれは小学生の作文と一緒。「だれだれちゃんとどこどこに行って遊んでお弁当食べて楽しかったです。おわり」になってしまう。


 俳優の伊東四朗は「間」についてこんなことを言ってる。

“「間合いっていうのは自分で作るものじゃなくてお客さんの間合い。ある台詞を言った時、お客さんが頭の中でグルッと回して納得するまでがお客さんの間合い。納得する前に次の台詞を言ってしまうのは不親切だと思う。それを感じ取るのが喜劇役者のつとめだと思います。」”


 引用 http://littleboy.hatenablog.com/entry/2014/10/20/152001


 2016年年末、アニメ『まどか☆マギカ』のTV版を再視聴したけど、おれが感じたのはまさしくこれ。台詞に『頭の中でグルッと回して納得するまでの時間』が全然ない。台詞が哲学的すぎて、まるで総集編を見せられているようなテンポだし、さやかの視点で見ればいいかのと思きや、、、視点が揺れ過ぎる時点で感情移入も何も出来ないよね。

 ナンタラ大賞をいくつも取ってたし、おまえらも熱くなってたし、知識人までもが評価してるから期待して観たけど何なの?肩透かしを食らった気分だわ。いや、内容はいいんだよ。あのプロセスだから最後、まどかが覚醒する説得力を持ってる。

 でも視聴者の視点からしたらこの話の適切な媒体は小説だけでしょ。

 なんでこんな早送りみたいになってしまうのかと言ったら時間の枠が決まってるからでしょ。先に上映時間を決めてしまうからだ。しかも一話30分12話じゃ時間がなさすぎる。時間がないから「間=台詞、状況、心理を納得する時間」を切ることになる。

 どうしてもアニメでやりたいなら、最低でも一話60分12話は必要。いや、魔物とのバトルもちゃんと描いて欲しいからその倍は必要。内容は良いのにもったいない。

 ジブリ映画は上映時間がいつもまちまちだ。「もののけ姫」は約135分あるが長いとは感じない。「耳をすませば」は約111分だが、たぶん聖司のイタリアでのお試し修行も描いて本当はもっと長くしたいんだけれど、さすがに3時間は越えられないし、「間=台詞、状況、心理を納得する時間」の取り方を見てると、これ以上は削れないラインなんだろう。

 高畑勲が監督した『かぐや姫の物語』は5年をかけてつくられ、しかも公開予定期日を半年もオーバーしている。完璧主義の仕事はなかなか終わらないものだ。いや、嘘のない仕事をしようと思ったら尺も期日も気にしていられないのだ。尺も期日も完成してから決まるのである。




■やりたいことの見つけ方

 聖司は幼い頃からヴァイオリンをやっていてかなり弾ける。でも自分と同じレベルの奴はゴロゴロいることを知っている。それは上達したからこそわかったこと。「プロの演奏家にはなれない」と、先が見えてしまった。でも代わりにヴァイオリンそのものを製作する仕事に興味を持った。ひょうたんから駒。その環境もあったし、実際につくってみるとこれが面白くて、のめりこんでいく。

 雫はそんな聖司に触発されて「わたしは何がしたいんだろう。本当にやりたいことってなんだろう?」と悩み出す。学業の成績はそこそこだし、まだ行きたい高校も決まってない。お姉ちゃんに聞いても「それを探すために大学に行っている」という。十代後半くらいなら普通はそんなものなのだが、聖司にふさわしい自分になりたいと思う雫は答えを探し始める。

 でも何にも浮かばない。ところが友達の夕子に愚痴ってるうちに物語が浮かんでくる。「そうだ小説が書きたい!」。小説が好きで本の虫だった雫の脳で発火が起きる。これまで読んだ本たち、聖司、聖司のおじいさんと仲間、地球屋、猫男爵、デブ猫、聖跡桜ヶ丘の町、、、すべての記憶が素材となって「バロンがくれた物語」のゲシュタルトができる。

 つまりやりたことは夢(憧れ、自分でつくるもの、自分で選ぶもの)ではない。自分が好きでやっていることの積み重ね。その積み重ねが人と出会うこと、新しい情報、環境と出会うことで、新しいゲシュタルトをつくり出す。その時、意識に上ってきたもの。気づき。ひらめき。それが「やりたい」こと。自分で一から考えて設計してつくるのではなくて、あなたによって実現されるのを待っているもの。あなたを呼んでいるもの。

 雫が小説を書こうと思い立ったのは「物語が私にやって来たから、書かずにはいられなくなった」。


  夢........憧れ、自分でつくるもの、自分で選ぶもの
  やりたいこと...向こうからやってくるもの、選ばれるもの


 やりたいことは、なぜ向こうからやってくるのかといえば、ラジオ受信機と一緒。

 ラジオ受信機の仕組みを簡単に説明すると、

 アンテナ(ラジオの周波数帯の電波を受信する)→同調回路(数ある放送局からひとつの局を選択、チューニング)→検波回路(放送局が発信している変調電波を音声に復調変換)→出力回路(音声をスピーカーから外界に表現)


 ラジオ受信機の仕組みと意識、無意識との対応を簡単に説明すると

  アンテナ(ラジオの周波数帯の電波を受信)・・・無意識に備わる機能

  同調回路(放送局からひとつの局を選択)・・・記憶(自分の積み重ねた知識、経験)

  検波回路(放送局が発信している変調電波を音声に復調変換)・・・自分の技術と感性

  出力回路(音声をスピーカーから外界に表現)・・・表現力、伝達力


 記憶(自分の積み重ねた知識、経験)というのは同調回路に相当する。つまり自分に放送局が発信している電波と同調できる電波(自分の積み重ねた知識、経験)がないとそもそも番組(やりたいこと、ひらめき、構想、情報、出会い)を受信できない。自分の側に80hzの周波数があるから、80hzで発信している放送局の番組が聴けるということ。

 だからいくらアンテナ(無意識)だけ張っても、番組(やりたいこと、ひらめき、構想、情報、出会い)は捕まえられない。つまり番組(やりたいこと、ひらめき、構想、情報、出会い)は自分の中にはない。どこにあるかというと、いわば情報空間(※ウエブのことではない)にある。

 そして技術と感性を磨かないと番組(やりたいこと、ひらめき、構想、情報、出会い)を現実のものとして変換できない。うまく表現、伝達できない。

 小説家、音楽家、芸術家といった職業の人にしか伝わらないかな?笑

 演技もそうだよね。

 番組...物語、世界観、役柄は最初は自分の中にない。自分の外側にある。情報としてだけ存在している。
 
 その番組をアンテナ(無意識)で拾って、同調回路(自分の積み重ねた知識、経験)で持って自分のものとし、検波回路(技術と感性)でもって出力(表現、伝達)する。

 のが演技でしょ?

 観劇もそう。

 芝居を観るというのは物語をアンテナ(無意識)で拾って、同調回路(自分の積み重ねた知識、経験)でもって自分のものとし、検波回路(感性)でもって出力(イメージ)する。

 そうやって楽しむことでしょ?


 そもそもチャンネルのないラジオ、チューニングのできないラジオでは、どんな番組も受信できない。だからまずは何か趣味があるなら毎日練習してまずはそれを極めてみる。ひととおりのチャンネル、検波回路、出力回路をつくる。その結果、聖司のようにプロになるのは難しいとわかったとしても、その蓄積は確実に自分の資産となって、新しい進路をつくり出す。雫は小説を書いてみて、文章力がないし知識が足りないし想像力だけじゃ駄目だと気がついた。技術と感性が足りないから、私のもとにやって来てくれた物語を表現仕切れなかったのだ。けどその結果、どうやって夢に近づいていけばいいかがよくわかった。さらにチャンネルを増やして、技術、感性、表現力、伝達力をもっと磨けばいいんだよね。

 だから右も左もわからなくても、興味を持ったらまずチャレンジしてみること。聖司もイタリアにお試し修行に行ったことで道をみつけたよね。

 やりたいことを見つけるのに年齢は関係ない。知的好奇心に釣られて、街に出かけ、旅に行き、新しい人に出会い、本を読み、勉強して、新しい環境に出会おう。現状の外に出よう。焦せらなくても、きっとやりたいことは見つかるよ。




■出会いはセレンディピディ

 月島雫と天沢聖司の出会い方はセレンディピティ(偶然にものを見つける能力)。無意識は雫に何度もサイン、シグナルを出してる。図書カードの名前、カントリーロードを翻訳したノートをベンチに忘れる、おかしなデブ猫を追いかける、地球屋に弁当を忘れる、渡り廊下ですれ違う、、、これは偶然でも、うっかり八兵衛でもない。無意識の誘導。「ほら、きみに必要な人がここにいるよ、気づいて」という。

 聖司がストーカーなのかどうかは置いといて、別のクラスの聖司はかなり前から雫を知っていて気づいてもらおうと図書カードでサインを出してた。雫がそのサインに気づけたのは不思議なことに開放性が高く好奇心で行動を起こすタイプだから。図書館で本を読み漁ってるのもデブ猫を追いかけるのも知的好奇心。無意識は意識と関係なく2つのセンサーでいつも情報を収集分析してる。

 危険察知・・・危険、恐怖、病気、キモイを避けたい、自分や周りの人の生命の安全を守りたい
 好奇心・・・仕組み、原因、理由、結果、答え、創造、未来、知への欲求

 人間は生命を安全に維持し、人生を意味あるものとして生きたいという根源的な欲求がある。その欲求を満たすために無意識にはこの2つのセンサーがついてる。

 危険察知センサー作動時の感情と感覚:危ない、怖い、キモイ、汚い、不快、不安、マズイ、臭い、痛い、辛い、嫌だ、、、

 好奇心センサー作動時の感情と感覚:なぜだろう?不思議、もっと知りたい、学びたい、つくってみたい、体験してみたい、、、

 天沢聖司は雫の好奇心センサーにひっかかったから「どんな人だろう?」と、"なんとなし"に問いを持った。雫にとって図書館、でぶ猫、地球屋、おじいさん、聖司は好奇心の対象だったよね。

 聖司が雫をいつもどこかで見つめていて、いつも強く念じていたから思いが伝わった!そういうわけじゃないんだな。だって雫は幼馴染の杉村君の恋慕に全く気づかなかったよね。告白されまで。念じるだけでいいなら杉村君の想いの方が聖司よりも先に伝わってなきゃおかしい。

 なんとなしの問いが生まれた時というのは無意識はもう答えを知っていて、答えに導こうとしてる。そこで自分を自我でいっぱいにしてしまうと無意識の誘導の邪魔になる。意識、欲望、願望は無意識の介入をブロックしてしまうから。


意識が自我で満杯の人.jpg


 だから欲望、願望ではなくて知的好奇心に自分が引き寄せられていくようにすること。知的好奇心は無意識の誘導だから。好奇心センサーはGO、危険察知センサーはSTOP、この二つをよく感じること。それが幸運の拾い方。

 スピリチュアルの奴らは引き寄せの法則とか言ってるけどエゴじゃん。自分が欲しいものを何でもかんでも念力で手に入れようってことでしょ。セレンディピディは自分が幸運に引き寄せられていくこと。小さい子を「こっちだよ、おいで、おいで」とする時のように幸運はいつも自分を手招きしてる。その手招きに「自分が」引き寄せられること。主客が逆。


意識が無になると無意識が発動する.jpg


 自分の無意識はいつでも自分を幸せにしようとしてる。危難を避けるため、人生を意味あるものにするため、本当に価値のある情報、必要な人に出会わせようとしてる。自分で理想、欲望、願望を持たなくても無意識は幸運を拾ってきてくれる。だから自分が無意識に誘導されていけばいいだけ。煩悩に塗れてるとそれがわからない。

 出会いがないという人はまず理想の異性像を捨て、煩悩を沈めよう。移動時間、休憩時間にスマホをやめて、ぼーっとしてみよう。危険回避センサーと好奇心センサーを頼りに、放課後、仕事帰りに行動範囲を変えてみよう。休日はふらっとどこかへ出かけよう。(寸)


ジブリ『耳をすませば 』原作 柊あおい (集英社文庫―コミック版)


posted by 駿附逑ケ at 00:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画とドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...