著者:駿附逑ケ | 1978年,東京生まれ。



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2009年09月05日

立石フェスタ2009 〜ゆるキャラなんざ、いらねぇぜ〜 後編

 もうひとつだけサンバの特徴をあげておこう。それは他の祭りやカーニバルには類を見ない『ストーリー性』だと私は思う。
 
 それはどういうことか。

 ペンギンの扮装をしたかわいらしい女の子も、10年もすれば、華も恥らう乙女となり、練習と挫折を繰り返しながら、ダンスの魅力や奥深さを知るようになるだろう。そのまた10年もすれば、幾多の恋を経験し、目配せするだけで男を虜にする美しい踊り子へと変身するはずだ。
 だがその美しい踊り子も、もっと年を重ねてゆけば腰のくびれも酒樽のようになってしまう...。
 
 それが自然というものだ。女も華も美しいのはひと時だけ。だけれど夢見る頃を過ぎても、踊り続けることはできる!!

 それに気づかせてくれるかのようにサンバカーニバルにはすべての世代の女性達が登場する。少女から熟女まで、女の一生を魅せてくれる。それが証拠に50代と思しきディーバが、あられもない姿で激しく贅肉を揺らしながら踊る姿があった。まるで袋田の滝のような迫力で、若くて美しい踊り子よりも注目を集めている。

 セルライトがなんだ! たれパンダがなんだ!! 私だって昔は綺麗だったのよ。若くて美しい後輩達も、いつかは私のように影も形もなくなる時が来るでしょう。だから、その前に思う存分恋をしておくのよ。恋は心の財産よ。心に財産があれば幾つになっても心をときめかせられる。だからオバサンの私もこうやって楽しく踊れるわ。あなたたちも、オバさんになっても人前で踊り続けることができたなら、本当のダンサーね・・・。


 そう叫んでいるような鬼気迫る踊りを披露する彼女に、おもわず天の岩戸開きを思い出す。

 高天の原を侵略しにやってきた須佐男が田畑をめちゃくちゃにして、ウンコを撒き散らしたせいで、天照大神が引きこもりになってしまい、世界は闇に包まれた。困った神々は、左右非対称の顔をしている天渦女を連れてきて、思金神に祝詞を読ませて神を降ろし、世にも奇妙な裸踊りをさせる。これに神々が笑い転げると、その様子が気になった天照大神が、岩戸をちょっとだけ開けて覗いてしまう。そこをすかさず手力男神が、手を押入れ、怪力でこじ開けて天照大神を引き出し、世界は再び昼を取り戻した...。

 この神話を人間の深層心理として解釈する学者もいるが、ダンスには「人の心を変える力」が確かにあると私は思う。事実、何の変哲もない商店街が今まさにリオのカーニバルと化しているではないか。それは『場を変える力』とも言い換えられるだろう。

 立石で、地域おこしのお祭りが始まった03年以降、スケジュールの都合で立石のお祭りには縁がなかった。というより「どうせたいしたことない」と、どこかでバカにしていた。浅草サンバカーニバルを知っている身としては立石の狭っくるしい駅前でやるサンバなんて高が知れてると思っていたのだ。わずか1,2チームの出場で、歌もなし、山車もなしで、どうやって盛り上げるというのかと。

 私は虚しく誤っていたようだ。大規模な浅草と違って、立石は本当に目の前で見れる。ただでさえ狭い商店街だから、パレードとギャラリーの隔てがないのも同然なのだ。踊り子の肌を伝う汗がはっきりとみえるほどに!!

 笑顔を絶やさず踊り続ける妖精たちにクラクラする。照りつける太陽に汗ばむ肌が光輝くようだ。

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 光もあれば影もある。ひとりの踊り子には腰椎の手術痕を見た。足首をテーピングする踊り子もいる。
 興奮したカメコ達が、周囲も省みずに上から下からベストショットを撮ろうと、恥も外聞もない行動に走る姿も見受けられる。


 それでも彼女達は踊り続ける。

 なぜなのか。

 露出狂? 生活のため? 頼まれて仕方なく?

 そんな偏見がくすぶっているのも事実だ。だが、それらはどれも偏見にすぎない。彼女達の人権擁護のためにも、この場を借りて私が代わりに弁明しよう。

 ダンサーにとって踊りは言葉なのだ。口から発するものや、文字にできるものだけが言葉なのではない。踊ることは感情や思いを表現し、外界とコミュニケーションする言葉同様の手段なんだ。天渦女は踊ることで神々を寿いだではないか。『踊り』は山川草木、花鳥風月、目に見えるものも見えないものも、相手としコミュニケーションすることができるのである。
そうした自然=精霊、神々(教示的ではない自然の霊威=トトロみたいな妖精)と交感する力を『言霊』というのではないかと私はみる。神は人間が日常、意思伝達に使う「コトバ」ではなく、踊りや、音楽や芸術といった原始的で抽象的で直感的な方法でのみ交信が可能なのではないか。
だとするなら、ダンサーから踊りを奪うことは言葉を奪うことと同じだ。それは画家や音楽家にも同じことが言えるし、表現の場がないということもまた、言葉を奪うことに他ならない。さらにはトトロたちとの交流さえ不能にする。中編でも述べたが、祭事とは閉塞した日常=秩序を、もっとも自然な初期状態=道(タオ)に戻すために行われる。それは言い換えれば、神々との交歓であり、寿ぎなのだ。ダンサーは人の心ばかりか神々までも寿ぐことのできる巫女なのである。



 ダンサーやアーティストに対する偏見がどうかなくなってもらいたいものである。そして発表の場がもっと増えることを願う。


16:35
お巡りも仕事を忘れて、デレデレと鼻の下を伸ばしている(それでいいんだ!)。

16:40
パレードゴール地点。タカラトミー社前に先回りして、サンバ隊の到着を待つ。

16:45
先発チーム到着。ペンギンのこども達は疲れて踊る気ゼロ。

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16:50
後発チームも到着。二つのチームが入り乱れて踊る。

16:55
クライマックスに向けてボルテージ上昇

17:00
パレード終了。大団円。拍手声援の中、サンバ隊は退場。



 今年から、出演者を増やし、ごった煮イベントと化した『立石フェスタ』。混沌とした昭和の残る町、立石ならではの素晴らしく混沌としたイベントだった。浅草サンバカーニバルとは赴きを異にするけれど、引けをとらない満足感だ(出場チームは浅草サンバカーニバルにも出場しています)。このような企画を成功させた出場者、立石商店連合会、NPO法人かつしか若手産業人会および関係各位に敬意を表したい。こどもの頃の活気のあった商店街を思い出せた。立石駅周辺は大規模再開発が進行中であるが、たとえ高層ビルのそびえ立つ、区画整理された、クソ面白くない、ネズミ一匹いない綺麗で清潔な駅前になってしまったとしても、案ずることはない。もう一度『立石化』してしまえばいいだけのことさ。

 それに土地の氏神や道祖神、立石様たちも、一緒に楽しんでいる姿が私には確かに見えた(気がする)のでわーい(嬉しい顔)、きっと来年以降もうまくゆくでしょう。
 ゆるキャラを見るとなぜかイライラしてタックルを噛ましたくなる私も、影ながらこのブログでPRに協力します。来年からは毎年見に行くぞるんるん

立石フェスタ公式サイトURL
http://festa.tateishi-syo-ren.com/


立石フェスタ2009 〜ゆるキャラなんざ、いらねぇぜ〜 前編を読む
立石フェスタ2009 〜ゆるキャラなんざ、いらねぇぜ〜 中編を読む


Whipped Cream & Other Delights






おまけ
夏の終わりってのはな、残尿みてぇなもんだ。とぎれとぎれに出てきては、出し切った気もしねぇ。まだ出るかと思ったら、待てど暮らせど出てこねぇ。もう出ねぇと蔵ったら、チョロっと出るから、油断がならねぇ。亀の頭じゃあるまいに、気まぐれにも程があるぜぇ。
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立石駅前、しょうべん横丁にて、よっぱらいのおじさんの嘆き。
posted by 駿附逑ケ at 17:00 | TrackBack(0) | 祭りとイベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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