2018年06月22日

意味との付き合い方「逆らう、壊す、すり替える、水を差す」

 日常における意味は関係性と目的と状況のtriangleで決まる。状況は刻々と変わるので、通常、意味も変化し続ける。しかし、権力や信仰や信念というのはこのtriangleを変化させない。変化を認めない。だからパワハラ・セクラハラの被害者、日大の加害者は、このtriangleの内側に閉じ込められたのである。上司の権力によって。

 キンタロー。の欅坂のモノマネが炎上したが、何を歌おうが欅坂は秋元康がつくった商品としてtriangleの内側に閉じ込められている。それをキンタロー。は外側から見て「でもチンチクリンが同じことしたらこうなるで」と、やってみせた。triangleの内側で真面目にやってる人をtriangleの外側から観た視点で茶化したのだ。




 笑いというのは、こうやってそのものが持つ意味も価値も破壊することができる。

 思えばコント55号、ドリフ、植木等の無責任男、寅さん、昭和の笑いは社会の空気の外側にいる者が、内側にいる労働者諸君を茶化していた。コメディアンというのはいわばアウトサイダーだった。

 その意味でキンタロー。の前田敦子、平手友梨奈のモノマネもアウトサイダーだ。アメブロもインスタもファッション誌も、いつでも綺麗なキラキラしたママであること、ツマであること、オンナであることを競うママタレで賑わっているが、キンタロー。には、そういう内容ゼロ市場の滑稽さも風刺してほしいものである。


 triangleの内側にいる自分から幽体離脱し、triangleの外側に立って内側の自分を茶化すのは自虐という。この自己距離化の能力がある人は社会にも距離を取れる。他人の御機嫌を忖度せずに、同調圧力に水を差せる。

 自分のことを「水木さん」と呼ぶ水木しげるもまさしくそのひとりだった。彼はラバウルに兵隊に行って片腕を失っても、隊を抜け出して現地人と友達になって一緒に暮らした。帰国後はまさしくアウトサイダーである妖怪たちを漫画にした。


 辛い事、悲しい事に距離を取れるようになった時、それは過去になる。つまりtriangleの外側に出れた時にそれは過去になる。ただし、

 外側に出れない苦悩に対しては『耐える意味』が必要である。

 人生には生老病死、愛別離苦、怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦、どうにもならない苦悩がつきまとう。

 治る可能性があるから辛い治療にやる意味を見出して耐えることができる。

 未来に待っている仕事、人がいるから、厳しい状況にも耐えられる。

 ニーチェがいうように『生きる理由(Why)を持っている人は、ほとんどどんな事態(How)にも耐えることができる』のである。


 ♯MeToo はおっさんがつくって維持してきた暴力装置のtriangleの内側にいろ!と、強制されてきた女性たちがその外側に出始めたってことだ。だからどんどん出ればいいし、出やすいようにおっさんを手あたり次第にスケープゴードにして男尊女卑triangleを地に貶めてしまえばいい。

 ただ実際、因習triangleを破壊するのは難しいところもある。権力者というのは暴力を振るうし、村八分にされると最悪食べるものにも困りかねない。女性蔑視がこの時代まで続いてきたのはそれゆえだろう。


 江戸時代前期に書かれた『一休咄』にこんな話がある。

 桔梗屋の前にある橋には看板が立っていた。そこには「このはしわたるべからず」と書かれていたので、誰もその橋を渡らなかった。ところが一休さんだけは違った。一休さんは橋の真ん中を堂々と渡った。橋は崩れることはなかった。

 通常、橋という此岸と彼岸を渡す目的のものの前にいるという状況からすれば「このはしわたるべからず」という言葉は「この橋渡るべからず」という意味だろうとしか解釈できないだろう。しかし悟りを開いている人は意味から解放されている。一休さんは「この端、渡るべからず」と自由に読んだのだ。

 一休さんの頓智に負けた桔梗屋のオヤジは、それならばと「真ん中も歩いては駄目だ」と言ったが、一休さんは橋に敷物を広げてこう言った。「おれは橋に乗ってない。敷物の上を歩いているのだ」

 悟りを開いた人というのは、このようにどこにいようと意味から解放された自由闊達な境地でいられるのである。ところが我々、煩悩具足の凡夫はそうはいかない。ともかく意味に縛られている。なんにでも意味を求めるから偶然にすぎないことにも色をつけたがる。

 実際、脳は自分に関連した情報、興味のある情報をいつも意識にピックアップしてる。心理学だとカクテルパーティー効果、カラーバス効果などというが、たとえば安室の女が居酒屋に入って隣の席の女子たちが安室透の話で盛り上がっていたら、嫌でも聞き耳を立ててしまうだろう。朝、テレビの占いが「今日のラッキーカラーはピンクです」と言っていたら、脳は一日中、ピンクのものにスポットライトを当てるように意識を向けさせ、ピンク以外の色は意識させない。

 ということは興味の範囲が狭い人は心理的盲点(スコトーマ)が多いといえる。いわば小さな窓の視野で世界を観てるから、視野から外れた世界は認識もできない。道に綺麗な花が咲いていても、100円落ちていても気づかない。

 加えて脳は因果関係の捏造もする。浮気している旦那が帰宅したら、ちょうど妻が不倫モノの映画を観て泣いている。すると実際浮気はバレてなくても旦那の脳は「妻に浮気がバレてる」と思い込む。

 カクテルパーティー効果、カラーバス効果はあくまで本人がそれを強く意識しているから起こっている。ゆえに偶然の一致に何らかの超越的な力が働いている、特別な因果関係があるという意味付けをするのはオカルトである。

 このように人間は意味に囚われながらも、意味に束縛されすぎると、意味から自由になろうとする矛盾も抱えている。わかりやすいのは「遊び」。「遊び」が楽しいのは意味がないから、意味から解放されるからだ。居酒屋や銭湯といったアジール(無縁所)を求めるのも続柄や職業という強い意味を持った役割意識から解放されるからだ。旅もそう。知らない土地では人はただの旅行者として存在できる。
 
 私は小学3~6年の時に友達とわんぱく相撲に出たが、結局、いつでも相撲クラブに入ってる一番デカいおデブちゃんが優勝だ。こっちはチビでガリだから、ひょいっと持ち上げられて土俵の外に出されてしまう。だからやる意味はないが、巨大な肉の塊に思いっきりぶつかっていけるのは単純に楽しかった。結果にかかわらず、それをすること自体が楽しかった。


 目的:楽しむこと
 状況:巨大な肉の塊に思いっきりぶつかってみる
 関係:力の差は歴然、勝てる相手ではない
 感情:負けたが楽しい

 目的:勝つこと
 状況:巨大な肉の塊に思いっきりぶつかってみる
 関係:力の差は歴然、勝てる相手ではない
 感情:勝てなくて悔しい


 こどもや素人を相手に対戦ゲームをして遊ぶならどうするか。私ならこちらが状況をコントロールして力が拮抗している演出をし、最後は負けてやる。ゲームは、

 ①どっちが勝つか負けるか結果がわからない
 ②やること自体が楽しい
 ③勝ち負けにこだわらなくていい

 が一番いい。ボクシングはもちろん両者ともに勝つためにやっているが、ボクシングは体格と実力に差がない対戦が一番白熱する。何が勝敗を分けるかわからないからだ。つまり結果がわからない状況を創り出せれば観ているほうもやるほうも楽しめる。

 そういえばDA PUMP 20周年記念29枚目シングル「U.S.A.」が楽しいのは意味が行方不明だからだ。



 
 確かに日常、意味に囚われないでいることは難しい。しかしできないことではないのはもうわかっただろう。目的でも状況でも関係性でも、どれでもいいから、矛盾を見つけたらすぐに突いて崩せばいい。その因習を成り立たせている目的に、状況に、関係性に同意をするのを自分が率先して今すぐやめればいい。

 笑い、トンチ、なぞなぞは実はそのための格好の訓練になる。具体的にいえば、

 ⑴当初の目的、相手の目的を勝手にすり変えてしまう

 ⑵状況的に正しい振る舞いをせず、むしろその逆をやる

 ⑶相手との関係性においてお決まりの反応をせず、逆の振る舞いをして関係性を逆転させる

 ⑷己の発言と行動から一貫性を排除し結果を予測させない


 つまり一言でいえば意味に逆らえ!ということだ。良識を持ったオトナとしての正しさを捨てて、リズムを崩し、曲調を変え、相手を困惑させ、こちらの心を読ませないということだ。その目的と状況と関係性によって規定されている強い意味をダジャレやゴロ合わせですり替えて、別の意味にしまうことだ。

 もう少し卑近な例を出そう。ツイッターで「おっぱい見せて」とキモい奴からリプが来たらどうするか?通報ブロックが正解だが、そこをあえてお父さんのおっぱいを見せてやったらキモメンはどう反応するか?「あなたの」とは言われてないわけだから「お父さんのおっぱい」を見せるやってもいいはずである。キモメンの意図は「あなたのおっぱいが見たい」ということにあるのは自明だが、見せてやる義理は一ミリもないのである。全く求められいない「お父さんのおっぱい」をあえて見せてやることはキモメンの意図を挫くだろう。通報ブロックする以上に。
その仕返しはそのまま「おまえがわたしにやっていることはそれと同じで的外れ」というリプライである。

 「パンツ見せて」でもやり方は同じである。お母さんのドデカイパンツを見せてやればいいのだ。「あなたのおっぱいが見たい」、「あなたのパンツ見せて」でも同じである。自分以外の誰かのおっぱい、パンツを見せて小馬鹿にしてやればいい。キモメンの意図をすり替えることがそのまままキモメンの意図を挫くのである。


 



◆意味、価値を無効化する方法

 ①ツッコミ
  外側から観たら間違っているものを指摘する、外側から観たら何の価値も意味もないものとして茶化す、デフォルメしてモノマネする
 
 ②自己距離化
  triangleの外側の視点でtriangleの内側の自分を茶化す→ 意味、価値の破壊、自虐

 ③意味のすり替え
  ダジャレ、語呂合わせ、なぞなぞで目的、関係性、状況をすり替える

 ④意味の無効化
  言動から一貫性、目的、正解を排除

 ⑤前提を覆す
 「すごく面白いことがあったんだけどねw」と切り出してからものすごくつまらないことを言う。
  人を批難しておいて同じことをする。




「クリスティアーノ・ロナウドみたいにしてください」



 さあ、もっと自由に大胆に発想しよう!

 空気を読まずに水を差してみよう!

 因習を破壊しよう!

 言い寄ってくる男を躱してみよう!

 滑ってみよう!


(寸)
 
 

posted by 駿喆咲道 at 01:00| 自由連想法 | 更新情報をチェックする






■恋愛にも新規顧客開拓にも使える出遭いの教科書
■著者
駿喆咲道@suntetusakudou

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1978年生まれ、東京都在住。「人間とは何か、私とは何か」をテーマに、実存と人間関係の悩みに光を注ぐことを使命にしています。尊敬する人は『夜と霧』の著者 V.E.フランクル(ロゴセラピー)です。

私は常に「道」を求めて開発改善に努めています。それゆえ記事の投稿後も何度も推敲を繰り返します。それにより読者に損害が生じることは恐らくありませんので御安心ください。

なお、毒舌、エスプリ、おやじギャグ、スラングなどを用いたり、テキトーな言葉遊びによって人を煙に巻くような話をすることがあります。下ネタを発することもあります。その旨、ご注意ください。


I produced this template on August 29,2017.


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