著者:駿附逑ケ | 1978年,東京生まれ。



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2016年09月30日

あの日の私に出会うからせつなくなるのです。おーなり由子著『きれいな色とことば』感想

■きれいな色とことば

 9月27日。日中は日差しがあって30℃手前まで気温が上がり、むしむしと暑かったけど、窓からキンモクセイの薫り。風が吹く度、夜の湖の波打ち際で寄せては返す波みたい。夢見心地。


きれいな色とことば (新潮文庫)





 おーなり由子著『きれいな色とことば』を読んだ。日常で心動かされる人や物理的な空気感(色、音、匂い、味、手触り)、、、心でしからわからない空気感(色、音、匂い、味、手触り)を綴った詩のようなエッセー。

 著者による水彩画が挿絵になっていて、これがなんともゆるく文章と溶け合ってあっている。

 
 ことばは思いを表す、伝えるには物足りないものだ。だから、ことばにすれば嘘になってしまうことさえある。ことばにならないことは ことば にならないまま、ことばにしないままでいい。ハグするしかない時は、ハグすればいい。この世には感じるままに味わっているだけでいいことのほうがむしろ多いはずだ。

 でも小説やら詩やらエッセーやらを書く人間はそうもいかないだろう。思いを表す、伝えるには物足りなくても、ハグするしかないことでも、あえて ことば にするのが仕事である。

 読み物は歌や芝居とは違う。感情や雰囲気といった ことば にできないものを、声の抑揚、佇まい、表情、姿勢、、、で表すことはできない。

 だから、やるせない気持ちを描くのに「やるせなかった」と書くだけでは、やるせない気持ちに全然、足りてない。

 「石ころを蹴飛ばした」と言い換えるにしても、その石ころはどんな石ころなのか?大きさはどのくらいか、どんな色で質感で形なのか、どの方向へ蹴飛ばしたのか、蹴飛ばした先にあるものは何か、足は痛いか、時間帯はいつか、場所はどこなのか、空はどんな空をしているか、空気は乾いているのか湿気っているのか、自分はどんな服装をしているか、蹴っ飛ばした時、ズボンはどんな風に肌に擦れてどんな音をさせたか、、、やるせなさを感じて、石ころを蹴飛ばしている時の身体感覚、周りの状況を含めて描くことで、状況や物体の持つ雰囲気(色、音、匂い、味、手触り、イメージ)、記号としての、抽象としての意味を借りて、そのやるせなさが、どれほどのやるせなさなのか、ことばでイメージさせる必要があるのが読み物だろう。

 実際、うまい小説や詩やエッセーはそういう書き方をしているものだ。『きれいな色とことば』もまさにそうである。
 
 ブログ日記のように綴られたエッセーは形式にとらわることなく、クオリアはそのまま擬音語、擬体語、オノマトペ。物理的に心的に見えた色、聞こえた音、感じた匂い、味、肌触りをそのまま ことばにしている。ひらがななのか、カタカナなのか、漢字なのか、声に出した時の感覚へのこだわりもみられる。落語じゃないからオチはないが、ほんとうにそのへんに転がっている日常を改めて認識させられる。そしてその日常を愛おしく思わせるものがある。

 作者は女性だが、女性ならではの感性とは思わない。私もこどもの頃から同じことを感じてきた。私は母の勤め先の託児所に通った3歳くらいからの記憶があるが、その頃から感じてきた対自然、対人の感覚とよく似ている。

 


■秘密の庭

 幸いなことにその感覚を私は今でも失っていない。今日までずっと保ったままだ。読みながら幼い日々を思い出したのはそのせいだろう。4歳の時のこと。妹が生まれることになったのを機に託児所に行かなくなった。託児所に入った当初は保育士のババアがうるさくて嫌でトイレに篭城したりして大暴れしてたけど、少し年上のこどもたちが優しかったので馴染むのにそんなに時間はかからなかった。一年ほど通った。やめることになった日、みんなに見送られ、ババアがおもちゃをひとつくれたので、つい泣いてしまったのを覚えてる。三月くらいのことで、幼稚園に入るまではまだ少し期間があった。だから昼間はひとりっきり、近所をぶらぶらとして過ごした。その頃、住んでいた団地は各棟の前が共同の庭になっていた。雑草がぼうぼうとして、住民が植えた草木が無秩序に根付いて、花が咲いていた。私はそこで、毎日のように草花や虫やらカナヘビやらヤモリやらを観察して過ごした。大きな石をどかしては下にいる気持ち悪い虫を観察した。母が田舎から持ってきて植えたボンタンの木についた芋虫がサナギになりアゲハ蝶になるまでを観察した。茂みの小さな窪で朽ちていくネコの死骸が白骨になるまで日々観察しつづけた。

 幼稚園に入るまでの一月ほどは、その小さな世界がすべての毎日だったけど、不思議と孤独は感じなかった。夢も知識も ことば も持っていない こども にとって団地の庭は宝箱のようだった。ただ、おひさまを浴び、花を愛で、蜜を吸い、はっぱをかじり、風に揺れる木の葉のささやき、鳥の声を聞き、虫を探し、野良猫と睨み合い、穴を掘って土の匂いを嗅いでいる日々。拾った棒っ切れを振り回しながら草木の生い茂る庭を歩き回るのはまるで冒険だった。

 商店街にいけばマッシュルームカットで小さくてかわいかった私に、知らないおばちゃん、おばあちゃんたちはとても自然に話しかけてきて優しかった。母の夕飯の買い物に付き合えば、おかず屋さん(おでん種、さつま揚げ、揚げ物、お惣菜などを売ってる店)のおばちゃんがぐつぐつと煮たおでんの中から、白い湯気でほくほくのつくね団子やら はんぺん やらをひとつ竹串に刺して食べさせてくれたし、床屋に行けば眠りこけるままに寝かされていた。そして夕方、帰ってきた父に風呂で髪をざばざば体をごしごし洗われて湯船に浸かる。飯を食う。夜はテレビで野球中継や歌番組やドリフを見て、日本昔ばなしのエンディングに合わせてでんぐりして、寝床に入ったら父の好きな西部劇の「誇り高き男」のテーマ、マリリン・モンローの「帰らざる河」のカセットテープ、遠くで聞こえる電車のコトンコトン、コトンコトンを聴いて眠りに落ちる。そんな一日が至極豊かな時間だとは当時はつゆとも思わなかったけれど、今になってはしみじみ思う。






■誰にも知られていない、帰る場所のない、いつもの私。世界を感じる受身の私

 知らない町に行って、自分が生まれ育った幼い頃の町にどこか似ていると胸が切なくきゅんとする。私はバブル前の昭和をギリギリ体験しているから、明治や大正に建てられた瓦屋根の日本家屋を知っている。ともだちの家は築90年の立派な家だった。どすぐろくて臭いドブ川も知っている。いわゆる同和地区も知っている。自転車で五分の祖父の家はボットン便所で、バキュームカーがうんこを吸い取りに来てた。あれは本当に死ぬほど臭かった。

 バブルで町が開発されていくのは当時はなんとも思わなかった。古いものを新しくするのはいいことだと思ってた。でも墨田にある高校に通うようになって、ノスタルジーのなんたるかを知った。学校帰りに一眼レフを持って昭和を留める墨田のごちゃごちゃとした町をひとり、自転車でふらふらとするのが好きだった。地上を走る四両の電車、カンカンうるさい黄色と黒の踏切、おばちゃんがわいわい溢れかえる夕暮れの商店街、マッチ箱みたいな年季の入った小さな家がひしめきあう町は完全に異界への迷路でわくわくした。道がどこにつながっているのかわからないし、先の見えない車の入れない道をおそるおそるそわそわしながら進んでいくと、自分が今どこにいるのかわからなくなる。もう戻れないという怖さもあったけれど、でもなぜか安心感もあった。だって、おしゃべりに興じるおばちゃんたち、所狭しと並べられた鉢植え、夕飯のおいしそうな匂い、微かに聞こえるテレビの音、三味線の音、、、そこには人間の生活しかない。それにもう戻れないならもう戻らなくていいってことだ。そう思ったら、四方を囲む昭和の家家家家が自分を守ってくれているような気がした。本当はこの家家家家のどれかに私の家があって、私が帰ってくるのを待っている、そんな気もした。

 もちろん、そんな家はないことは頭ではわかっているから、急に寂しくなる。人恋しくなる。だけど私はその場所、家を今でもずっと探している。その家は日本家屋の瓦屋根で板壁で引き戸の玄関で縁側があって庭がある。これは前世の記憶なのか、父が中学二年まで仙台で暮らした家の記憶なのか、祖父が少年時代までを過ごし、日中戦争を7年、生き抜いて帰ってきた向島の家、東京大空襲で灰燼と化した家なのか。わからない。そこへすごく帰りたい。

 私はいつも自分がどこにいるか知ってるから自分の居場所がわからないということがない。自分がどこにいるのかわからないということは、言い換えれば誰も私を知らない場所にいるということでもある。私は本当はいつも私を知っている人に囲まれていることが嫌なのかもしれない。誰にも知られていない自分というのはとても自由な気がする。部外者でいられるということ。ひとりでいるのが好きなのはそんな理由かもしれない。でもひとりはやっぱり寂しい。帰りたい家がないのは寂しい。いつかみつかるのだろうか。あの家が。


 今日の夕焼けは藤色の雲とピンクが綺麗だった。夕焼けは普通にあることだが、空は無常。今日と同じ空は二度とない。何度目だって、たった数分の夕焼けを見られるということに、私はいつでも しあわせ を感じている。せつなさとともに。

 夕焼けの色に見とれているのは、誰にも知られていない、帰る場所のない、いつもの私なのだと思う。この文章を書いている時の自分もそう。それは誰でもない自分、名前のない。誰にでもある自分、名前のない。しかし誰にも知られていない、帰る場所のない、いつもの私。「きれいな色と ことば」は、おーなり由子のそういう自分が書かせたものではないか。「きれいな色と ことば」を読んでいる時の私もそう。そうでなければ由子のみた色に、感傷に、なんら共感することはできないだろう。この私は歳を取ることがない。3歳のものごころついた時からずっといる自分。視点。夢もことばも知識も持っていない私。世界を感じる受身の私。
 



■個人的抜粋

「夏になる方法」、「夏のおくりもの」、「透明な風船」、「さんぽの時間」、なんかが好き。まるまるは書き写せないから、その他の箇所を断片的に。



P16
 すきな色になっていいよ


P24
 いかりを、時間の流れと一緒に、胸の奥に沈めて、たがやしていく時、すきこんでは、何度も、たがやしていく時、いかりは、かなしみの正体をあらわす。そして、いつの間にか遠くなっているのだ。
 遠くなったいかりは、かなしみとなり、そして、もっともっと遠くなると、せつなさに変わる。
 __せつなさは、かなしみよりも、すこしあたたかい。
 どんなかなしみよりも、自分のからだの一部のように思えるようになればいいのに。
 自分とむきあう、静かな静かな作業によって。
 時間という不思議な、つめたくてあたたかいこの世の力を借りて。


P58
 時々思うのは、日常の事は、「おいしかったねえ」「うん」といって、胸の中であたたかくそのまま持っている方が、その言葉の本質に近くて豊かなのではないかということ。それだけで充分な気もする


P68 
 __心だけであるいているのではないのだから、心にとらわれすぎてはいけない。心が重要だと思いすぎてはいけない。
 ふわりと風に吹かれて、ほっぺたに当たる髪のさらさら加減をさらさらさらさら、楽しんでみる。夕方。陽の光。
 さらさら、さらさら。
 見えないものは、知らん顔していたって、はいりこんでくるから、たまには心のことなんか、忘れているのがいいのです。


P129
 たくさん話そう
 いろいろあそぼう
 こころのなかに
 温泉ができるまで


P133
 おふろやさんめぐりの良いところは、知らない路地を歩けるところ。知らない生活をのぞけるところ。
 ___これは、ある日の三鷹のお風呂屋さん。

 湯ぶねにはいって(背中にジャグジーをあてながら)洗い場を見ると、てぷん、てぷん、と音をたてるような、まるい裸の女の人が、ふたりで洗面器の前にすわっている。
「あらわせて。いいじゃないの。あらわせて」
 我先に、と泡立てたタオルで、まっ先に相手の背中をこすって、嬉しそうにからだをゆらす。
 洗ってもらうより、洗ってあげてる方が嬉しそう。白い湯気。薄桃のひたい。
 女の子みたいに。きゃあきゃあと笑う。
 たくさん笑う。
 湯気の中___おなかと腕のしわが、笑うたびに、ゆれてふくらんでいました。
 

P145
 へたくそな自分のうたが、お風呂場に響くのを聞きながら、声っておもしろいなあ、と思う。歌詞がなくてもひびくだけで楽しい。空気がいろいろに変わる。
 心を抽象的なまま人に伝える方法があみだされたら、どんなにいいだろう_____と、前に思ったことがあったけれど、この時うたいながら、
「あっ、音楽があった」
 と、思った。なーんだ、大昔から人間がやっていたことだった。ごく自然に。
 だから人はうたうんだろうか。
 音楽ができる人はいいなあ、と思う。
 ああ、でも、生まれたばかりの赤ちゃんのあんあんという声も音楽みたいだ。知らない間に音楽をやってることだってあるのかもしれない。
 おふろのお湯に鼻から下を沈ませて、ぶくぶくと空気を出して声を出してみた。なんだからわからないけど、幸福な気持ち。
 窓のすきまから、レモン色の月がみえた。
 

P157
 花が散っていくのは音楽みたい。悲しく寂しく思う人もいるかもしれないけれど、私には、時々お祭りみたいに思えてしまう。いっせいに散る時、桜は、
「散りたい、散りたい」
 と言ってるみたい。
 花びらは散り方を楽しんでいるように、散ってゆく。
 声をあわせて、歌うように___散る。
 つん、として甘く、クラクラとするような花の香り。桜は、散るときにはじめて香りを放つ。咲いている時には何にも匂わないのに。この香りが、歌みたい、と思う。歌が誰かに届くときみたい。


P160
 ことばというのは
 そうかんたんに 伝わらない
 伝わる時には
 ことばがなくても
 伝わる

 だから 心せよ



■あの日の私に出会うからせつなくるのです

 幼い日々を過ごした団地はもうない。正確には建て替えによってまったく別の世界に作り替えられてしまった。春になると白詰草一色になる草むらで白詰草の花で花冠をつくった、幼稚園の年長さん。ゴールデンウィーク前に突如として引っ越すことになった幼なじみのユキちゃんとお別れしたあの場所も、もうない。最後の最後で、「おれんちの子になるか、おれをつれていくかどっちかにしろって言っただろ!うそつき!」などと怒って泣かせてしまったことをひとりでいつまでもあの場所で悔やんだ。五月の風に揺られて、ぼうぼうと生い茂った猫じゃらしは、さわさわさわさわ、ざわざわざわざわと歌っていたけど、ただ青臭いだけで、余計に悲しいだけだった。

 それでも、優しかった近所のおねぇさん、幼なじみのユキちゃん、妹と見た桜並木は今でも一部残っている。当時、全長50mほどの桜のトンネルは絢爛だった。春の陽の眼差しに小さな白い蝶のように降りしきる桜はこの世のものとは思えない美しさだった。満開の頃にやる桜祭りという名のお花見会には屋台が出て、人がわんさか集まって呑めや歌え。無料で振る舞われる甘酒を飲んでその甘い味を初めて知った。ふにゃふにゃのこめつぶが白くて甘い味と共につぶつぶと舌を流れ、喉を流れるのが面白い。何杯でも呑めると思うけどネダッても呑ませてもらえないから、小学校高学年になるくらいまでは、これはきっと高価な飲み物なのだと思っていた。


 心理学では幼い頃の体験によって無意識の中に性格や興味関心、好き嫌いの元型が形成されるという。そう言われると思い当たる節は多々ある。結局、女の人には妹に接するように兄のように父のようにしか振る舞えないし、好きになる人はいつもどこかあの綺麗なおねぇさんか、ユキちゃんに似ている。容姿だったり、人柄だったり。ふたりがどんな声だったのかは忘れてしまったけれど、声が似ている人を好きになるということもあるのかもしれない。

 私は記憶力はそこそこよいほうだが、しかし思い出というものは、いつも美化されたり、誇張されたり、抜け落ちているものである。つまり事実とは違うものだ。でもそれでいいと思う。思い出は事実の記録でなくてもいい。思い出した時に、まるで今それを体験しているように感じられるならば。

 祖父、父、ともだちと行った銭湯は最近、更地になった。確実に60年は営業していたはずの銭湯。からんごろんと響く高い天井、駿河湾上空からヘリでしか見られないだろう壮大な富士山のペンキ絵、黄色いケロリンの桶、祖父がゆでダコにようになっていた熱熱のジェット風呂、ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃんと泳げるほどひろ〜い湯船、てかてかにひかってる板張りの着替え室、茶色い合皮のマッサージチェア、水色の羽根の扇風機、腰に手を当てて飲むコーヒー牛乳、、、不思議とありありと思い出せる。まぁ銭湯はどこでも似てるから忘れようがないんだけど。

 その跡地は案外狭かった。こんなものだったのかと、拍子抜け。整地してまんべんなく被せられた黄土はさらさらとココアパウダーみたいな色で違和感たっぷり。銀の配管の蛇口がひとつぴょこん。工場がつぶれた時みたいに、またマンションが立つのだろうか。


きれいな色とことば (新潮文庫)




 
 おーなり由子著『きれいな色とことば』

 とてもよい本。私に幼い日々を思い出させ、さっそく文体を盗ませたのだから。笑

 短歌もふたつ浮かんできたし。


 花冠空水青光風わたしはあそぶブランコに乗り(はなかんむ/りそらみずあお/ひかりかぜ/わたしはあそぶ/ぶらんこにのり)


 秋の雲太陽やわらかな午後わたしは風の通り道になる(あきのくも/たいようやわら/かなこごわ/たしはかぜのと/おりみちになる)


 無意識は意識で思い出せないことも忘れていないし、似ているものは同じものという認識の仕方をする。理由もわからず懐かしくなったりせつなくなったり孤独を感じたりすることがあるけど、それは、目の前の状況が意識できない記憶と似ているというサインなんだと思う。

 たとえば、赤ちゃんにきゅんとするのは、自分が赤ちゃんの時に、おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、おにちゃん、おねぇちゃんが、自分のことを「ああなんて可愛い!」と思って見つめていたから。自分では忘れてしまっているけれど、無意識は覚えているから、そうやって教えてくれるんだと思う。

 幼稚園の子だって、赤ちゃんかわいい!見せて!触らせて!っていうんだから、それは母性本能じゃないのだ。記憶なんだ。3、4歳までの全く記憶にない期間の自分に向けられた、妹、弟に向けられた、母、父、祖母、祖父の感情、眼差しを、今、私は赤ちゃん、ちいさい子に対して追体験している。彼らの眼差しが「赤ちゃんは可愛く愛しいもの」だったから、無意識の記憶が、今のわたしにも同じ気持ちを起こさせてる。

 そういうかたちで母、父、祖母、祖父の心は今の私とともに生きている。こども時代をどんどん忘れていくわけだけど、忘れてしまうのはまた出会うため、喜びを減らさないため、何度でもその心を感じたいがため。失くしたものを覚えているのは悲しくなるし、その悲しさえ感じなくさせてしまうから。

 香りを嗅ぐまではキンモクセイのこと忘れていたのだって、今年もやっぱり癒されるためだ。また、季節に、こども時代に、親しい人たちに出会うためには、また心を動かされるためには、傷を癒すためには、意識では忘れてなきゃいけない。

 だから忘れることを嫌わなくていいし、自分に許していいんだよ。

 これからも、夕焼けで、街角で、本の中で、あの日の自分にまた出会えるんだから。現在の自分や、今を一緒に生きている人や、これから出会う人を通して、いつもどこかで、あの日のあの子、あの人に出会えるんだから。何も失われてはいないんだ。

 自分の知情意を何の齟齬もなくそのまま他者に伝えることができて、人の体験が自分の体験と全く同じで、自分が経験してきたことをそのまま人に経験させることができる。もしこの世界がそうだったなら言葉も芸術も音楽も舞踏も芝居もVRも誕生しなかった。恋だって愛だってなかった。

 ひとが、わたしの気持ちはこうなんだと何らかの表現をする、芸術、音楽、舞踏、芝居を尋ねることでわたしの気持ちを表現するものを見つけようとするのは、そうしなければ解消されない孤独があるから。

 本を読むことは私にとってその方法のひとつでもある。そのことも再確認させてくれた一冊。

 懐かしくなったら、もう一度読みたい。(寸)












 

posted by 駿附逑ケ at 00:09 | TrackBack(0) | 読書ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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