2013年03月10日

問うことの意義、生きるとは自己を創造すること

2012年02月20日(月)

すべての答えが自分の中にしかないのなら、世界はいらないし、その答えは誰とも分かち合えない。だけれど、すべての答えが自分の中でなく世界の側にしかないのなら、僕は問い続けるだろう。『人はどこから来て、どこへ行くのか。私とは何者か』と...否、もし答えなどないとしても僕は問い続けたい。

posted at 23:54:21


2012年02月21日(火)


『問う』ことの意義は必ずしも正解を見つけ出すことにあるわけじゃない。『問う』という行為は、対象を「知る」ために、自らの意識を対象の客体、同体、その中間体に分離せしめ、対象の重層的な観察及び理解をならしめる。そこで思いもよらぬ未知の発見をすることがある。僕は寧ろそれを狙っている。

posted at 00:13:27

問うということは答えが見えていないからするわけで、もしその問いに答えがあるのなら、今まで見ていなかったところに答えはあるだろう。でもその問いに答えがなかったとしても、答えを探す過程で幸福な偶然が
訪れることがある。その幸運な偶然を察知する能力を #セレンディピティ という。

posted at 00:28:45


2013年03月09日(土)


寸鉄索道@suntetusakudou

今クールのドラマで泣くな"はらちゃん"だけは観てる。はらちゃんはこの世界のことを何も知らないから「What is this?」と問い続けるんだけど、越前さんや田中さんが言葉で説明するだけでは理解してくれない。

posted at 22:17:43

寸鉄索道@suntetusakudou

でも山本五十六の名言よろしく「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみせる」ことで"はらちゃん"は初めて理解できるようになる。なぜ言葉だけで"はらちゃん"は理解してくれないのか。それは言葉は経験のインデックスにすぎないからだ。

posted at 22:31:33

寸鉄索道@suntetusakudou

経験が身体化されたものが言葉なのであって、まず「初めに言葉があった」わけではないのである。だとすると「知らない」とは経験(やイメージ)がないということだろう。だから何も知らない(経験がない)”はらちゃん”の問いは常に根本的で根源的だ。

posted at 22:41:03

寸鉄索道@suntetusakudou

越前さんや田中さんがその"はらちゃん"の根本的で根源的な問いに応えようとすればするほど、自身も「それ」の意味を改めて構築し直さざるを得なくなっていく。つまり知識として知っていることを経験によって体験してゆく。

posted at 22:48:11

寸鉄索道@suntetusakudou

愛とは何か、幸せとは何か...。"はらちゃん"に問われることで、越前さんや田中さんがずっと逃げていたことや、望んでいたことが図らずも浮き彫りにされゆく。愛とは何だろう、幸せとは何だろ...。

posted at 22:53:00

寸鉄索道@suntetusakudou

その可笑しくも誠実なヤリトリを観ていると、言葉を獲得するというのは本当は「生きる」ということなんだなと思う。誰かと心を通わせるために言葉があるのではなくて、人は生きることで言葉を獲得してゆくのだ。

posted at 23:00:37

寸鉄索道@suntetusakudou

経験によって身体化されたものが言葉であると定義しよう。言葉とは私の血であり肉であり骨である。存在そのものである。ならば同じ言葉を話しても心が通わない人がいるのは致し方ないことだ。誰かと心が通うというのは生きてゆく道程で、同じ言葉を獲得したということなのだから。

posted at 23:09:34

寸鉄索道@suntetusakudou

愛とは何か...幸せとは何か...問いを持つことは大事だろう。だがその答えは思惟によって判明するものではない。「問う」というのは「未だ知らない」すなわち未だ未経験なのだから自己の内に答えはないのである。

posted at 23:18:22

寸鉄索道@suntetusakudou

愛とは何か...幸せとは何か...世界に問い続けながら自己を生きることでのみ答えは獲得されてゆくのである。

posted at 23:19:39



2013年03月10日(日)

寸鉄索道@suntetusakudou

生きてゆく道程で誰かが私と同じ言葉を獲得するというのは至って稀なことだ。また同じ言葉を獲得した誰かと出遭うというのも至って稀なことだ。

posted at 12:55:13

寸鉄索道@suntetusakudou

生きるということは言葉の獲得であり存在の更新であるなら、生きることは創造だ。神が求める道や人としてあるべき姿へ向かって、平準していくことに人間としての自由、生きる意味はない。

posted at 12:57:20

寸鉄索道@suntetusakudou

自己を創造できるということが人間における最大の自由であり、生きる意味ではないのか。なのに宗教やスピリチュアルは、人を単一の目的に向かわせ、単一の意識にし、あなたと私の彼我の区別がつかなくなることが正しいというのだから正気ではない。

posted at 13:02:06

寸鉄索道@suntetusakudou

ただ自己を創造する生き方は個を際立たさせるから孤立を深めることにもなる。誰かと話していてもいつも何かが違うと感じさせる。その寂しさが、似た言葉を獲得した誰かを捜し求めさせるのだし、誰かと一緒に同じ言葉を獲得しようとさせるのだろう。

posted at 13:09:33

寸鉄索道@suntetusakudou

そうした人間の自然な欲求に宗教やスピリチュアルは漬け込んでくるのだから性質が悪い。私が哲学を志向するのはひとえに人間として生きる意味と自由を守りたいからなのだ。否、戦って勝ちたいのであり、この心は自称"神"どもを跡形もなく殲滅したいと思うほど燃えているのである。

posted at 13:21:45



 
 
 

 
 
 
posted by 駿喆咲道 at 13:36 | TrackBack(0) | twitter投稿より | 更新情報をチェックする






■恋愛にも新規顧客開拓にも使える出遭いの教科書
■著者
駿喆咲道@suntetusakudu

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1978年生まれ、東京都在住。「人間とは何か、私とは何か」をテーマに、実存と人間関係の悩みに光を注ぐことを使命にしています。尊敬する人は『夜と霧』の著者 V.E.フランクル(ロゴセラピー)です。

私は常に「道」を求めて開発改善に努めています。それゆえ記事の投稿後も何度も推敲を繰り返します。それにより読者に損害が生じることは恐らくありませんので御安心ください。

なお、毒舌、エスプリ、おやじギャグ、スラングなどを用いたり、テキトーな言葉遊びによって人を煙に巻くような話をすることがあります。下ネタを発することもあります。その旨、ご注意ください。


I produced this template on August 29,2017.


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