2011年06月09日

仮想狂気 ―clubbed to death―(9) 掲示板やSNSで友達をつくる一番いい方法

 要はネット上で赤の他人とコミュニケーションを計るにはゲームが一番リアリティがあるという話だ。それも同一人物と継続してプレイするならネットのトモダチと言うことができるだろう。そう考えるとモバゲーやグリーなどのソーシャルゲームが流行っているのも頷ける。
 
 ディスカッションなら掲示板でもブログでもルールさえ決めればすぐにできるだろう。あるいはブログとコメントをゲーム化してしまうというのはどうか。かなり工夫が必要だが。そうすれば妄想や「俺の話を聞け」合戦よりリアリティを獲得できるのは間違いないと思う。

  それでも赤の他人同士では虚像の独り歩きは避けられないことは忘れてはならない。単なる暇つぶしの相手が欲しいだけなら妄想でもいいだろう。でも本当にトモダチが欲しいのなら、サークルやオフ会に参加したり、mixiやFacebook、あるいは出会い系をやるしかない。
 
 しかし自分が「どこの誰だか」を公開することは、それ相応のリスクを伴う。「どこかの誰か」を信用するかしないかは、あくまで自己責任が原則だ。私にはそんなリスクは取れそうにないから、身分を明かさなくてもよい「場所」にいるわけで、掲示板にしろSNSにしろ、結局のところ自分が取れるリスクの範囲で目的に合った「場所」を選んで遊ぶしかないのだろう。
 
 そう考えればネットにおけるコミュニケーションは、社内SNSや同窓会SNSのように、既にある現実の人間関係を補完し促進させるための道具として使用するのが望ましいのかもしれない。何故ならそれが一番リスクが少なくリターンが大きいからだ。


  以上、ここで展開した論理はあくまで私の頭の中の屁理屈であって実証が必要だ。私はPCでもケイタイでもゲームをしたことがないし、子供の頃からテレビゲームが苦手で殆どしたことがない(汗)。対戦型ゲームはリアルタイムでしかできない?とすると相手と時間を合わせなくちゃいけなくなってくるし、ゲームでもディスカッションでも、あまりルールをカッチリ決めてしまうと創造性が阻害されてしまいかねない。
 
 どうせ遊びなんだから興味がないことや面倒なことはしたくないのが本音だし、既知よりも未知、規則よりも自由の方が遙かに魅力的である。でもルールが何も無いというのは、行き先のわからない暗い夜道をひとりで歩くのに似て危険なことだ。オカマを掘られたくなければ後ろにはクレグレも気をつけなければならない。それは子供や美人に限ったことではない。奇想天外なジョーカーほど神出鬼没である。ヘンタイは千差万別であり、その趣味は実にさまざまだ。誰だって標的になりえる!! 催涙スプレー、スタンガン、防犯ブザー、そして「棍棒」を携帯しても危険の只中にいる以上は不安は決して消えないだろう。
 
   一般に自由とはリスクをとることと引き換えだと言われている。だがそれは誤りだ。自由とは安全を確保した時にだけ得られるものなのだ。わかりやすく言えばナニをするときは田舎の中学生だって部屋に鍵をかけるという話だ(爆)。自由とは安全が確かめられたときにだけ発揮される完全無防備状態のことである。それは眠るという行為を考えてみても証明できる。都会に住む者なら眠るときは必ず戸締りをするだろう。あるいは野外で暮らす種族はひとつに固まって一晩中、火を絶やさないようにするだろう。それは眠るという行為があまりに無防備であるが故に、安全を確保せずには行えない危険な行為だからである。人は安全地帯があってこそ冒険ができるのだ。地図があるからアッチにもコッチにもいけるのだし、危険には近づかないで済むのだ。どうせゲームをするのならルールのないゲームより、ルールのあるゲームをしよう。ルールのないゲームには裏切りがツキモノだ。見せかけの自由は不安と想定外によって容易に相殺されてしまう。
 
 

  でもルールのあるゲームには何がある?


  それは安全と自由と、偶然がもたらす小さな幸せさ


  ゲーム飽きたらどうする


 新しいルールゲーム始めればいいだけ
 
  Yes / No Continue ?  


 
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■恋愛にも新規顧客開拓にも使える出遭いの教科書
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駿喆咲道@suntetusakudu

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1978年生まれ、東京都在住。「人間とは何か、私とは何か」をテーマに、実存と人間関係の悩みに光を注ぐことを使命にしています。尊敬する人は『夜と霧』の著者 V.E.フランクル(ロゴセラピー)です。

私は常に「道」を求めて開発改善に努めています。それゆえ記事の投稿後も何度も推敲を繰り返します。それにより読者に損害が生じることは恐らくありませんので御安心ください。

なお、毒舌、エスプリ、おやじギャグ、スラングなどを用いたり、テキトーな言葉遊びによって人を煙に巻くような話をすることがあります。下ネタを発することもあります。その旨、ご注意ください。


I produced this template on August 29,2017.


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