相対と逆説 完璧主義者(ワーカーホリック)をやめる! 

2017年08月08日

相対と逆説 完璧主義者(ワーカーホリック)をやめる! 

■自罰としての信念ではなく、自分の命への責任を選ぼう

 あなたは車の運転はするだろうか?

 車はガソリンが入ってないとエンジンがかからない。

 運転とはハンドルとアクセルとブレーキを操作をすることだ。

 安全運転とは自身、その他の車両、歩行者、自転車に注意して事故を防ぐことだ。

 ワーカーホリックを車の運転にたとえるなら、ガソリンが無くなるまでひたすらアクセルを踏むばかりでブレーキを踏まないのと同じだろう。安全運転の意識の高さは評価できるとしてもエネルギー切れでエンストしたら、渋滞を起こして人様に迷惑かけることになるし、あなたも回復するまで誰かに介抱してもらわないといけない。誰の世話にもなりたくない(なってはいけない。なぜなら私にはその価値がないから)というその信念は守られなくなる。

 やはり一回一回ベストを尽くそうとすると体力が続かない。とりあえず日常のことはベターなら合格!にしないか?ブレーキを踏んでくれる人が誰もいないなら尚更、自分を自分で律するしかないのだ。疲れを感じたら小まめに休み、腹が減ったら飯を食い、日が暮れたら、一区切りついてなくても、「明日もあるんで今日はここまで!」にすることを自分に課そう。信念(完璧にやり遂げなければ私には存在価値がない。人から評価されないし、自分を自分で認めることができない。私は自立していなければ人間としての価値がない。無価値な私は誰の世話にもなってはいけない)を捨てたくないのなら。

 人間を自動車にたとえるのは乱暴だが、自己管理として自分を自動車に準え、

 ・ガソリン→規則正しく食事をとってガス欠を起こさないようにする
 ・アクセル→周囲ではなく自分基準で安全と健康維持のための速度を尊守
 ・ブレーキ→急停止にならないように3回に分けて踏む。疲れを感じたら回復するまで停車する
 ・ハンドル→自他の安全と健康維持に基づいた判断
 ・調整検査→洗車、車内掃除、空気圧検査、ブレーキ検査、車検をするように自分の心身をメンテナンスする

 遠くまで行くためには、日々のパフォーマンスを安定させるためには、故障と事故を防ぐには、これを日々確認することが自分に対する責任である。

 自罰としての信念ではなく、自分の命への責任を選ぼう。




■絶対評価をやめて相対評価を選ぶ

 自罰感情に取り憑かれた者の自己採点はとても厳しくキリがないのが特徴だ。普通の人より集中力があるので「自分の思う完璧」をこなせなかったとしても、他者から見たら、完璧と言っていい達成度に到達しているのは間違いないのだが、「自分の思う完璧」を絶対の基準として評価してしまうし、自分ならもっと出来るはずだという思いに駆られてもいるので、いくらやっても満足できない。

 これを是正するには自己採点をやめるべきである。完璧主義とは評価への執着である。自己評価、他者からの評価への執着だ。しかし、やるな!といったところでいうことを聞かないのが執着病である。なら記録を付けるのがいい。数値化できる評価項目をつくりノートに表を書いて今日の成果を点数にして記したり、写メなどをとっておく。そうすれば前回との客観的な比較ができる。記録さえつけておけば、前回と比べてどこが良くてどこがダメなのか、そしてどこをどう改善すればいいのか、客観的事実を一目で把握できるし、『今回はここまで』という区切りもつけやすくなる。

 つまり絶対評価から昨日の自分と今日の自分とを比較する相対評価へシフトするということ。

 絶対評価を相対評価に変えるだけで完璧主義はかなり和らぐだろう。性格を変えるわけではなく評価の仕方だけを変えるわけだが、人間の脳は可塑性に溢れているので、これぐらいのパラダイムシフトは誰にでも簡単にできる。ましてや完璧主義者ならお茶の子さいさい。

 しかし何でも相対化していい訳ではない。芸術はやはり絶対の価値を追求するものだし、あるいは人間の命を、アイツの命はオレの命より価値がないなどと云うのやってはいけないのは言うまでない。




■逆説 リラックスすることに集中する

 完璧主義者は一日の大半を集中モードで過ごすことが多いためリラックスするのが苦手。仕事、勉強、育児、掃除、洗濯、アイロンがけ...そういう「やらねばならない」系タスクにおいてすら手抜きは許されない。料理だって片手間にやれば美味しいものにはなるはずがないと思っている。いつも「やらねばならない」系タスクに気を取られているため、時間に追われている気がしている。一日が48時間あればいいなぁと思う。ちょっとした空き時間も何かしていないと気が済まない・・・。
 
 その集中力を逆手に取って強制的にリラックスする方法がある。それは『リラックスすることに集中する』こと。リラックスとは弛緩であり集中の対義語だが、日頃から緊張度の高い人間は力を抜こうとしても出来ない。ならばあえて完璧なリラックスを得ることに集中することで、集中モードをリラックスモードに切り替えようと云う訳だ。

 具体的にはどうするかと言えば、

①リラックスせざるを得ない自然環境に移動する
②自室にリラックスできる空間を創造する

 その凝り性を逆手に取って「リラックスできる環境とは?」「心身ともにリラックスしている状態とは?」を存分に追求するのだ。

 電気を消してアロマキャンドルを灯したり、寝具を肌触りのよいものにしたりするのは比較的誰でもやっていることだろう。身体をリラックスさせてしまえば意識もリラックスモードにできるからだ。

 私がやっているのは所謂、瞑想である。外なら、

・川の流れをぼんやり見つめる。川の空は広い。広い空間の開放性は心を外向きにしてくれる。
・自然の風が肌に当たる感触や葉を揺らす音、虫の音などに意識を集中する。

 五感を通して環境に意識を埋没すると思考はストップしやすくなる。あるいは、

・通勤通学散歩で毎日同じ道だけを通る。
・お風呂に入って身体を洗う時や、寝る前に、まったく同じ手順を踏む。

 ルーティン化やマンネリ化したことをやると顕在意識の働きは低下する。

 自室でリラックスしたいときは、電気を消してバイノーラルサウンド(ヘミシンク)をヘッドホンで意識を集中して聞くことでリラックスモードに入ることもできる。

 ●バイノーラルサウンドを生成できるフリーソフト『Raindrop』

 ※YouTubeで「バイノーラル」か「ヘミシンク」で検索すれば大量にみつかるが効果は不明。

 仕事中のちょっとした休憩にリラックスしたい時はどうすればいいか?

 腕立てでも、スクワットでも、壁を押すのでもいいが、身体に思いっきり力を入れて筋肉を緊張させる。すると当然、疲労する。疲労すると力は抜ける。




■制限時間を設ける

 タスクを完璧にこなすことを目指すのではなく、制限時間という枠の中でのみ最高の集中状態と完璧なパフォーマンスを目指す。制限時間内に作業を完了できなくても時間が来たら一旦終了するようにする。作業の完成度よりも、あくまで時間を優先するルールに変える。

 その上で、あと5分、10分で終わるなら、やり遂げるようする。




■善き人に助けを求め、時間をカネで買う

 介護、仕事、勉強、料理、育児、掃除、洗濯、アイロンがけ...ひとりでやる介護や、育児の辛さはまさにひとりで厨房を切り盛りする牛丼店の店員のようである。

 介護や育児はひとりでやっていれば必ず破綻する時が来る。本人が病気などしたらそこで強制ストップ、嫌でも誰かに助けを求めなくてならなくなる。

 もし経済的に余裕があるのなら時間をカネで買うのはどうか。

 介護には、訪問看護、デイケアセンター、サナトリウムなど公的な支援だけでなく、宅配お弁当、家事支援がある。

 育児も託児所やベビーシッターがある。乳幼児用の宅配お弁当だってある。

 少しでも世話や家事から解放されれば、休む時間ができる。休む時間ができれば疲れを癒せる。戦う元気を回復させられる。

 あなたが倒れたら、こどもの世話、親の介護は誰がやるのか?

 保護者としての責任を全うしたいなら、自分の健康は自分で守らなければならない。
  
 自罰感情としての完璧主義を捨て、家族の命、自分の命への責任を果たすことを選ぼう。責任を果たすために知恵をこらし、善き人に助けを求め、時間をカネで買おう。




■無意識は自分でつくったルールにしか従わない

 肥満者というのは病気でない限りは総じて食べ過ぎだ。しかもそのことの自覚がない。この二点を改善するのにも記録をつけることは重要だ。何時に何をどれくらい食べたか。

 世の中にはゴマンとダイエット・プログラムがあるが、どんなに立派なメソッドに裏打ちされていようと、それが人から与えられたルールであれば、無意識は受け入れてくれない。すなわち、何かと言い訳をしてはそのプログラムを逸脱してやり切ろうとしない。

 あなたの意志力が弱いからではない。無意識は無意識が自ら納得したルールにしか従わないのだ。ならば何かのプログラム、それがどんなに優れていていも、を利用する場合でも必ず「無意識が納得するルールに書き換える」必要がある。

 私は本稿の冒頭で「自罰としての信念ではなく、自分の命への責任を選ぼう」と言った。

 すなわちあなたが完璧主義(ワーカホリック)なのは、あなたの無意識が従っている自罰感情としての信念=「完璧にやり遂げなければ私には存在価値がない。人から評価されないし、自分を自分で認めることができない。私は自立していなければ人間としての価値がない。無価値な私は誰の世話にもなってはいけない」を明らかにし、かつ家族の命、自分の命への責任に意識を向け変えるべきであると説いた。

 意識が自ら納得したルール(信念)とはすなわち習慣のことである。信念とは自分が勝手に重要と思って習慣化し執着していることである。

 ではなぜあなたはその誤った信念を持つに到ったのだろう。フロイト的解釈という神話によれば生育歴がおかしいのだという。

 否、ここで今、問題にしているのは神話の正統性ではない。犯人探しではなくて、どうしたら誤った信念を変えられるかである。

 論点は『完璧主義者(ワーカーホリック)が完璧主義者(ワーカーホリック)である由縁は「なんでも完璧にこなさなければ自分の存在が無価値になってしまうことを酷く恐れている」ことにこそある。それも死ぬほど恐れている』

 実は超肥満の人にもこれと同じ恐怖がある。普通のデブなら「理想のプロポーションになることよりも、美味しいものを食べることの方が重要だと無意識が思っている」にすぎないが、超肥満の人は「食べないと飢えて死んじまう!」と、彼の無意識は本気で信じている!


monica


 否、食べすぎて死んでしまうのがおまえだろ!という話だが、正常な思考を強制停止させてしまっている飢えへの恐怖が百貫デブの無意識にはあるのだ。彼の超大食はそのような酷い恐怖から逃げるためなのである。

 否、デブを笑うなかれ。恥や死や危険に遭う恐れから逃げるために、このようなことをしている者は実は枚挙に暇がない。これはそもそも現実に恥や死や危険に遭うことで発動する無意識の自動制御であるが、無意識は一度、納得したことは変えないでルールとして保持する機能がある。またイメージと現実を区別しない。ゆえに人間は恥や死や危険に遭った過去につくられたルールに操られる。そのショック体験に似た出来事やイメージをも恐れて逃避する。

 ではその一度限り有効だった、今は必要のないルールはどうしたら変えられるのか。それはもう一度、恥や死や危険に遭えばいいのである。ただし今度は勇敢に立ち向かう必要がある。

 ではここでひとつワークをしてみよう。体重300kg超の超肥満女になってしまった自分を想像してほしい。リアルなフィジカルな想像をつくってほしい。

 あなたはいつものようにベッドでドカ食い。ピザ、らーめん、からあげ、柿の種、甘納豆、パンケーキ、プリン、チョコミントアイス、コーラ、甘酒、、、バリボリ、むしゃむしゃ、ゴクゴク、餌を噛む音と舌を流れる旨味に取り憑かれて、恍惚としている。体は血糖値の大上昇と贅肉で重だるいが雲の上にいるような幸せな気分だ。

 下腹が痛くなった。うんこだ。どすこーい、どすこーいと気合を入れて巨体を左右に揺らしながらベッドからぶよーん、ぶよーんと降りる。ベンギンのようによちよちと、どすん、どすんと歩いてトイレに行く。ドアを開けると、後ろ向きになって、ギリギリで入れる入り口を尻から先にぐりぐりと中に入る。パンツを降ろすと便座に座ってブビーッ!恐ろしくデカくて臭いクソが出した。カラコロカラコロ、トイレットペーパーを巻き取って股ぐらから尻に手を挿し入れる。

 腹の肉が邪魔で手が尻に届かない。ひっひっふぅ〜、腹をへこませて、もう一度チャレンジするが、、、

 あ゛っ!

 突然、便座が割れて水道管が破裂した!

 水がビシュー!と吹き出した!

 しかも尻がハマって立ち上がれない!

 あがいてみても無駄!

 どうしよう、、、考えてもわからない。疲れた。ちょっと休憩しよう。ひとやすみ、ひとやすみ。

 その間、漏れ出た水は家の外にまで広がって、ほどなく近所の住民の通報で消防隊がやってくる。インターホンがピンポンピンポン、玄関をドンドンドン、「大丈夫ですか!」、、、もちろん出れない。

 キュイーーーン!金属を切断する甲高い音の後で、消防隊が土足のままヅカヅカと部屋に入ってくる。

「大丈夫で・・・」

 あなたを発見した消防隊達は鼻をつまみ、笑いを堪えながらあなたを救出。心にも尻にも激しいを痛みを感じる。どうやら本当に尻から出血しているようだ。歩ける気がしない。外で救急車が待機している。消防隊達はあなたをストレッチャーに乗せて担ごうとしたが重すぎて断念。消防車の梯子を使ってベランダから外に運び出される。

 梯子から降りてきたあなたの姿を見た野次馬の小学生達はケタケタと「おいっこのデブスのババア、ノーパンだぞ!うわぁ!ケツにうんこついてる!臭っせー!」と爆笑の嵐。

 あなたをかばう者は誰もいない。なんとかストレッチャーの上に腹ばいになったあなただったが救急車は、あなたの体重に耐えられないという。そこにちょうどトラックがやってきた。荷台にはたくさんの豚が乗っている。運転席から顔を出したおじさん(加藤一二三)は前歯がない。事情を知ったおじさんはねじり鉢巻をぎゅっと締めて、

「てやんでぇ!おいらに任せろよ!」
 
 あなたは消防隊10人がかりで豚だらけの荷台に乗せられる。

 ピーポーピーポー、ピーポーピーポー、

 先導する救急車がアナウンスする。

 「交差点、赤信号直進します」

 こうして急救救命センターに運ばれたあなたは看護婦たちに取り囲まれる。いずれもモデル体型の若くて美しい女性達だ。看護婦達はあなたのでぶでぶと太った醜い体を見て、ぷーくすくすと嘲り笑わっている。自分の尻を自分で拭けないあなたはTシャツもハサミで無惨に斬り刻まれ、裸ん坊にされる。尻だけでなく、おっぱいも丸出しだ。あなたのアーモンドみたない形の乳首は紫といってもよいほど暗く黒い。巨大な乳輪はもはや手の平では隠せない。

 あなたは看護婦たちに言われままに、四つん這いになって、そのクソ塗れの尻を突き出す。看護婦達は「豚女さんって、生きてる意味あるんですか?」「鏡を見たことがありますか?」「自分を恥たことはないんですか?」「自業自得ですよね。治療しなくてもいいじゃないですか?」と、次々と容赦のない言葉を浴びせて、誰も尻を拭いてくれない。

 医者(ショーン・K)にはこう迫られる「今の生活を続けると余命は一ヶ月です。生きたければ、まずは一ヶ月、絶食しましょう。その後に胃を切除して3分の1の大きさにする手術をします」


 

 さて、このような辱めを受けて、しかも残り一ヶ月しか命がないと知った時、それでもあなたは自分の命よりも食欲のほうを選ぶのか?

 それならそれでもいいだろう。あなたが人間としての誇りを捨てても、自分の命への責任を果たさなくても誰も困らない。自分の命も大事にできないような者は、思考停止の現実逃避の恍惚の中で人知れず死んだほうが幸せというものだ。

 でももしこの選択に同意できないのなら、完璧主義(ワーカーホリック)においても自分を尊ぶ選択に変えてみないか?

 いくら完璧を目指して努力しても、あなたが手に入れるものはいつだって「惨めさ」だけじゃないか?

 自分をいじめて何になるのか?

 もういいかげん自分を許したらどうか?

 あなたが本当に欲しがっているのは惨めさでも疲労でもないだろう?

 のんびりるんるんな幸せな毎日だろう?

 無為にだらだらしている自分にもOKを出せることだろう?

 ならいますぐ自分にOKを出したらどうか?

 いつまでもOKを出さないでいるのは他人じゃなくてあなた自身だ!

 もう完璧主義(ワーカーホリック)なんて諦めてしまえ!

 幸福でいることこそ最大の復讐だ!

 勇気を出せ!

 降参しろ!

 さあ!


 何かを完璧にこなすことよりも、自分を罰することよりも、幻想の恐怖から逃げることよりも、家族の命、自分の命への責任を意志するんだ!

 意識的に選択し続けろ!

 家族や友人にお願いして、自罰をやめるようにブレーキを踏んでもらえ!

 自転車に乗れるようになった時のように、無意識にその選択が当たり前になるまで。(寸)

 





 
posted by 駿喆咲道 at 08:08 | TrackBack(0) | 健康 | 更新情報をチェックする

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■著者
駿喆咲道@suntetusakudu

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1978年生まれ、東京都在住。「人間とは何か、私とは何か」をテーマに、実存と人間関係の悩みに光を注ぐことを使命にしています。尊敬する人は『夜と霧』の著者 V.E.フランクル(ロゴセラピー)です。

私は常に「道」を求めて開発改善に努めています。それゆえ記事の投稿後も何度も推敲を繰り返します。それにより読者に損害が生じることは恐らくありませんので御安心ください。

なお、毒舌、エスプリ、おやじギャグ、スラングなどを用いたり、テキトーな言葉遊びによって人を煙に巻くような話をすることがあります。下ネタを発することもあります。その旨、ご注意ください。


I produced this template on August 29,2017.


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