2018年04月16日

戦没者と音楽を冒涜したゆずをディスる烏賊したラップがマジで聴きたいYO!!☆

 音楽は正しい解釈をするために聴くものではない。作者の個人的経験や主張が込められているとしても、素人が容易に作者の精神分析を為しえ、その知的レベルを判定できる薄っぺらい作品はそもそも私には聴く意味がないが、どうしても我慢ができないので言いたい。

 流行歌には何の価値もないとまでは言わない。中学生にも高齢者にもわかる歌は世代を繋ぐ。こどもたちが、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に口ずさめる歌があっていい。

 昨今、ソーシャルネットワーキングの発達によって素人にも発表の機会が増えたが、自意識を垂れ流すだけの歌が流行るのは時代のせいなんだろうか。そうした歌はスルーでいいと思うが、人々を、世代を、分断させてしまうような歌の危険性は無視せずに批判すべきだと思う。

 誰の歌とは言わないが、昭和のミュージシャンたちは老害と言われようとその手の歌を大声でディスってほしい。売れることが正義、売れている=世の中をつくってる、という思い込みは自惚れでしかないのだから。そもそも世の中を変えたければ歌なんか歌ってないで政治家になればいいだけである。バカを批難したければどうとでも解釈できる曖昧さに逃げたりせず集会の壇上に立って演説をぶればいいことだ。

 昭和のミュージシャンよ、調子に乗った反知性主義の小僧を見過ごし、懐メロ歌手として昔の歌を歌い続けることに甘んじているほうがずっと老害ではないか。自分で創ったものを自分で壊すとしても、戦没者も音楽も冒涜した‛ゆず’を叱るべきだ。


 ゆずの北川は「ガイコクジンノトモダチ」についてこう言ってる。(引用元 雑誌「音楽と人」2018年5月号)

「文章にして読み上げるとかなり危険そうな内容も、ポップソングにしちゃえば、何だって歌にできるな、と思って書いてみたんだよね(中略)自分が大切だって思うことは、ちゃんと伝えたくて」



 つまり北川はこの歌を❛自分が大切だって思うことは、ちゃんと伝えたくて❜書いており、❛文章にして読み上げるとかなり危険そうな内容❜であると認識してる。

 J-castのインタビュアーに「かなり強い右寄りの思想を感じる」などと伝えられた北川は、

「危ないよね(笑)。でも音楽にすることでラッピングされちゃう部分をうまく使いたかった。あとこういう歌詞を唄うことで、みんながゆずに対して思ってることを壊したかったんだよ。それがいちばん大きいかな」

 引用元 https://www.j-cast.com/2018/04/09325688.html?p=all


 
 ❛こういう歌詞を唄うことで、みんながゆずに対して思ってることを壊したかったんだよ。それがいちばん大きいかな❜


 には強いナルシズムを感じる。以下の二点、


 ❛ポップソングにしちゃえば、何だって歌にできるな❜


 ❛音楽にすることでラッピングされちゃう部分をうまく使いたかった❜


 には音楽をどのように位置づけているが垣間見えるか。


 ガイコクジンノトモダチも音楽も自分のナルシズムの道具なんだろう。こんな歌を人に聴かせて歌わせて喜べるのはナルシストだけだ。


 ❛自分が大切だって思うことは、ちゃんと伝えたくて❜と言いながら、ウヨもサヨも風刺しているかのような視点を入れて明確な主張から逃げているのは、論理的に批判されることを恐れているからだ。論理を情緒でバカにするのは論理的でない者のやり方である。ナルシストは批判を恐れるが自分を誇示したがる。注目や称賛を欲する。

 靖国神社の在り方に賛否あるが、死を悼む場所であることは確かで、後世の人間が身勝手な主義主張をするためのメルクマークでは断じてない。音楽は反知性主義者の悪辣なナルシストがその劣悪な感情で自己主張するためのものではない。ゆずは戦没者も音楽もどっちも冒涜している。

 音楽が人生そのものであり、嘘のない音楽をつくろうとしている人を私は知っている。だからこういう嘘っぱちには物凄く腹が立つ。


 北川は雑誌「音楽と人」2018年5月号の中でこうも言ってる。

「こうやって思ってることをはっきり言うことも、ゆずとしてやり続けていくべきだと思ってる。ボロカスに叩かれるかもしんないけど(笑)。」

 なら遠慮なく叩いてやろうじゃないか。でも一般人のおれが叩いても意味はない。ミュージシャンこそ受けて立つべきだ。誰かこのカルトの糞ダッセー奴をラップでディスり倒してくれ!!




posted by 駿喆咲道 at 23:52| 音楽 | 更新情報をチェックする






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駿喆咲道@suntetusakudu

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1978年生まれ、東京都在住。「人間とは何か、私とは何か」をテーマに、実存と人間関係の悩みに光を注ぐことを使命にしています。尊敬する人は『夜と霧』の著者 V.E.フランクル(ロゴセラピー)です。

私は常に「道」を求めて開発改善に努めています。それゆえ記事の投稿後も何度も推敲を繰り返します。それにより読者に損害が生じることは恐らくありませんので御安心ください。

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I produced this template on August 29,2017.


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