2017年09月25日

moumoon『光の影』(映画『望郷』主題歌)感想

 映画やドラマのために書かれた曲だからと言って、音楽は添え物ではないはずだ。その映画やドラマを観る、原作小説を読むことで受け手としては想像の自由を失うことを恐れる。

 音楽は正しい解釈をするために聴くものではない。その音楽に抽象性があれば想像を自由に膨らませられる。現実への拡張性や融合性がある。ゆえに繰り返し聴いてもいつも違う味を味わうことができるのが音楽の醍醐味でもある。


 映画『望郷』の主題歌、 moumoon『光の影』をここ一週間聴いていた。映画の原作である湊かなえの小説『望郷』も同時に読んでいた。

 小説は瀬戸内海に浮かぶ架空の島「白綱島」を舞台とした六つの短篇(「夢の国」「みかんの花」「海の星」「石の十字架」「光の航路」「雲の糸」)である。どの章も霧の立ち籠めた暗い海が見える。登場人物たちの人生は、傍から観て、結果論で、もっと別の生き方があるじゃないかという話で鬱鬱とする。

 罪を犯すことも、罪を償うことも、自分を犠牲にして誰かを救おうとすることも、当人にとってはそのようにしか生きられない生生しさがあるものだろう。その生々しさは、眩暈を起こしそうな潮騒と潮の香りがして今にも真っ黒な口を開けた海にするりと落ちてしまいそうなほど張り詰めていて冷たい。

 それぞれの終盤に、風に軋む鉄道のレールのような一条の光が差し込んでくるのが救いだ。この光はとても厳しいが、この光がなかったら彼らは生きてはいけないだろう。

 
 「夢の国」は名家の祖母に支配された家で生まれ育った女の話。幼い頃から東京ディズニーランドに憧れていた夢都子は、教育実習で高校の同級生男子・平川と再会する。父も母も祖母に完全に支配されており、何もかも諦めるように生きていた夢都子だったが、その鬱屈から好きでもない平川の誘いに乗ったことを切っ掛けに、後戻りができなくなっていく。終いには偶然にも発作で死にかけた祖母を見殺しにすることで狭い世界を脱する。大学卒業後、夢都子は好きでもない平川と結婚し、娘を授かり、ようやく憧れの東京ディズニーランドに行くが、それは夢焦がれるほどの場所ではなかった。

 「みかんの花」にも男を利用して島から脱出する女が出てくる。認知症になった母の面倒を夫と共に見続けていた女には姉がいた。姉は25年前に失踪していたが売れっ子作家になったことだけはわかっていた。姉は市町村合併のイベントを機に帰ってくる。妹は姉が同級生男子を利用して失踪したことを知るが、それは単なる駆け落ちなどではなく、母を守るための驚愕の理由だった。

 男に頼らなければ現状を打破できないというような話は小説とはいえ、暗澹とする。実際にそういう女がいるせよ。『望郷』に出てくる女は皆、影のある女ばかりだ。島という狭い世界がそうさせるのか、男尊女卑のせいか、貧困のせいなのか・・・。

 「海の星」では失踪した夫の帰りを待ち続ける母を見守る息子が主人公だが、毎晩、夫を探すように島を彷徨い歩き続けた母・佳子は、現状を認めないために息子を巻き込んでいる。

 清掃員や農家の手伝いをして一人息子と暮らす佳子の苦しみは一見、健気さに映るが、否、私は「猛烈な怒り」を感じる。「どうして突然いなくなったのか、あんたのせいでわたしは町中の笑い者だ」というような怨念が「夫は帰ってこない」という事実を認めさせないでいる、私にはそう感じる。

 「石の十字架」の主人公・千晶は最も現代的な女だろう。小学4年で父を亡くし、白綱島の祖母のもとで育った千晶は娘・志穂の登校拒否をきっかけに白綱島に戻ってくる。台風で床上浸水した家の中に閉じ込められた千晶は志穂に、子供の頃、友達のめぐみちゃんと隠れキリシタンの十字架を見つけた話をして救助を待つ。

 「光の航路」では中学校教諭だった亡き父を追って小学校教諭となった青年が、自らが受け持つクラスのいじめ問題に悩む中、自宅にいるところを何者かに放火されてしまう。幸い、すぐに救助されたため軽傷で済んだが、青年のもとに父の教え子だった畑野が見舞いにやって来くる。青年は畑野に教師としての父の真の姿を教えられる。ひょうなことからいじめられるようになった畑野を救った在りし日の父に青年は感動し、いじめ子、いじめられっ子と真剣に向き合おうと決意する。


 映画『望郷』では「夢の国」と「光の航路」を原作にしているという。moumoonのYUKAは主題歌のオファーを受けて小説『望郷』を読んだという。光の影の歌詞の中に「クモの糸」というフレーズが出てくるが、これは短篇のひとつ「雲の糸」からとられたものだろう。

 「雲の糸」は人気ミュージシャン黒崎ヒロタカが主人公。ヒロタカの母はヒロタカが1歳の時にDVを受けていたアル中の夫を刺し殺した。

 母の服役に伴い、ヒロタカと5歳上の姉は母の妹・真知子に預けられた。7年勤めた母親は出所後、ヒロタカと姉を引き取り、そのまま島で暮らした。島中が母親の罪を知っている中、母親は早朝の公園をボランティアで掃除し、連絡船で清掃員をして生計を立てた。そのように生きることが母にとっては夫を殺した罪の償いだったが、その影でヒロタカと姉は人殺しの子としていじめに遭った。

 高校卒業と共に島を飛び出したヒロタカが二度と戻りたくない島に戻ることになったのは、いじめっ子の筆頭だった的場からの着信だった。島に残った姉が働いている的場の鉄工所のパーティーに来て欲しいと懇願され、ヒロタカは断れなかったのである。

 ヒロタカを待っていたのは昔とは打って変わった島民からの歓待だった。自分と姉を疎んだ真知子おばさんも恩着せがましくサインをねだった。

 的場は実は選挙に出るためにヒロタカの知名度を利用しようと企んでいた。的場は表面的にはヒロタカを立てる素振りをしつつも、あれこれと注文を出し続けた。昔のトラウマから強気に出れないヒロタカは、流されるままに、写真を取られ、何百とサインさせられ、カラオケで歌わされる。それはヒロタカにとって血を吐くような努力をしてミュージシャンになった全てを、自分の安息の場所を、否定され汚されるような拷問だった。

 挙句、ヒロタカは母が自殺しようとしたことを知る。母はヒロタカの素性を嗅ぎ回る週刊誌記者がいることを知り、ヒロタカに迷惑をかけないように死のうとしたのだ。ヒロタカはそのショックと疲労から意識を失い夜の海に転落する事故を起こしてしまう。

 そのヒロタカを救ったのは、不登校だった息子がヒロタカの歌を聴いて学校に行けるようになったというファンからの手紙、そして、姉が語る母が父を殺した真の理由だった。

 
 私は「雲の糸」を読んで、ひょっとしたらmoumoonのふたりも、ヒロタカのように突然、親戚が増えたり、嫉妬でありもしない噂を立てられる経験をしているのかなと妄想した。有名な人というのはあるいは、カネ目当て、人脈目当てで近づいてくる者もいるだろう。そういう経験をすると人が信じられなくなるのは想像に難くない。ヒロタカには島の者たちが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、まるで自分が登る蜘蛛の糸を後から攀じ登ろうとするズルい亡者たちに見えていた。

 それでも価値をわかってくれるファンが一人でもいること、自分が歌う歌が、誰かの光に、勇気になっていることを知っていることが、ヒロタカの光に、勇気になるのではないか。

 moumoonの「光の影」はあるいはそのことを知ったヒロタカが、次に歌う歌なのかもしれない。

 己れの罪の罰として苦悩する者も、しない者も、親族の罪によって烙印を押されている者も、法の精神を越えて、他者によって裁かれる。それでも苦悩する者が幸いなのは、しない者との最大の違いは、苦悩することによって果報を得ることだろう。闇(苦悩)は光(意味)を見つけさせる。人と人はどんなにわかり合おうとしても通じ合えないものが残るものだ。それでも、光(意味)があればその痛みに寄り添うことをやめない勇気をcommit(送り込む)できる。乗り越えられない痛みを抱えた自分を、誰かを、accept(受諾する),そのまま認めて、一緒に涙することができる。光(意味)は影をつくる。痛み、悲しみ、憎しみ、、、乗り越えられないものは、苦悩は、影という安息の居場所を与えられる。


 たとえゴルゴダの丘に自分が磔になる十字架を背負って行く道でも、我はこの者の強さ(光)になれるか、大木となって人を休ませる影(安息)になれるかを自問させる人に出会うのが人生の意味であり価値でもあるのだ、と私は信じている。moumoon『光の影』は、その光と影をストリングスの静かな闇の中に映し出す。夜の海面にチラチラと揺れて反射する光は寂しげだが、私を乗せた孤独な船はその光を頼りに故郷の島の湊に帰還しようとしている。その光は灯台のような、島の家々の明かりのような、月の明かりのような優しさと暖かさがある。暗くて見えない島からは手を振って私を出迎えてくれる懐かしい眼差しを感じる。


 湊かなえ、小説『望郷』を読んだだけでは抜け出せなかった闇(darkness)に、moumoonの「光の影」は手を差し伸べている。


 Let there be light,let there be shadow.(寸)



望郷 (文春文庫)



 
 

Kindleストア 望郷 (文春文庫)


posted by 駿喆咲道 at 23:30| 音楽 | 更新情報をチェックする






■恋愛にも新規顧客開拓にも使える出遭いの教科書
■著者
駿喆咲道@suntetusakudu

profile200×200_200x200.jpg

1978年生まれ、東京都在住。「人間とは何か、私とは何か」をテーマに、実存と人間関係の悩みに光を注ぐことを使命にしています。尊敬する人は『夜と霧』の著者 V.E.フランクル(ロゴセラピー)です。

私は常に「道」を求めて開発改善に努めています。それゆえ記事の投稿後も何度も推敲を繰り返します。それにより読者に損害が生じることは恐らくありませんので御安心ください。

なお、毒舌、エスプリ、おやじギャグ、スラングなどを用いたり、テキトーな言葉遊びによって人を煙に巻くような話をすることがあります。下ネタを発することもあります。その旨、ご注意ください。


I produced this template on August 29,2017.


読者メッセージを送る